「人はなぜ山に登るのか」(2026-06-21 更新)
「小田切くんハイキング行こう!」職場の先輩 S さんに誘われた。S さんは確か七つ年上の25歳だった。背筋が伸びた痩身で艶やかな黒髪を後ろでまとめた姿は、まるで日本人形がガラスケースから出て歩いているような美人だった。
「い・い・行きます!」これが山岳部の勧誘だった・・・とは知らずに。
7月の日曜日、三ツ峠山が何処にあるかも知らず甲府駅に集合した。男女15人ほどの部員は皆20代から40代のベテランで、新参者の僕だけが18歳の青二才だった。
ただ連れられて歩いた山なんて記憶に残らないものだ。見事なお花畑を天国ってこんな所だろうと思った。下山途中で滝の飛沫を浴びた。郵便局前のバス停で帰りのバスを待った。
(この三つの記憶だけを手掛かりに、最近になって母の白滝コースを逆周りに辿ってみたが50年以上も前の記憶は蘇らなかった)
帰りに「来月は小田切の歓迎山行だ!」部長のUさんの一声で僕の入部が勝手に?決まった。
8月の盆休み、中央線、小海線、バスを乗り継いで稲子湯から八ヶ岳の縦走がスタートした。
登山に必要な道具は靴もザックも寝袋も、すべてが会社の福利厚生で用意され、交通費なども支給されていた。だから身軽に参加できたが、縦走って山を走ると思っていた僕の心は重かった。
計画どおり昼時に原生林に囲まれたみどり池に着いた。池の水でコメを研いで飯盒炊爨が始まる。リーダーのキスリングからは錆びた四角いブリキ缶が出てきた。何やら怪しい真鍮製の器具を手際よく組み立てる。メタで予熱する。ポンプを煽る。この一連の作業を僕は唖然と見ていた。少し間をおいて気化したケロシンに着火すると瞬時に、周囲の静寂を破る騒音と青い炎があがった。すっげー!かっこいい!
夏沢峠に2軒建つ山小屋はどちらもバラックだった。中は薄暗く土間に粗末な板張りの広間があるだけ。見たところ布団もない。硬い床に寝袋だけで雑魚寝するらしい。登山が精神論で語られていた時代だった。だから小屋は素泊まり、自炊が当たり前だった。休む間もなく夕飯の支度にかかる。
先輩たちは手慣れたようすで中華鍋に食材を投入していく。何もできない僕はまた見ているだけだ。
僕の入部を祝う晩餐は、摺り下ろしたニンニクが効いたコンビーフカレーだった。さらに豪華にカニ缶を開けた。「同じ重さなら値段が高くても旨いもの!」が山岳部の理念だった。(やっぱり食べ物の事は良く覚えている)
夜半に激しい雷雨がトタン屋根を叩く音で目を覚ましたが、翌朝は快晴の青空が広がった。
朝ご飯は多めに焚いて残り飯で各自おにぎりを作った。梅干しと粗塩たっぷりのおにぎりが赤岳頂上での昼食になる・・・はずだった。
食後にトイレに行って戦慄的な経験をした。大のトイレは完全に自然開放で穴から下が見える。トイレ小屋は10m近い崖っぷちに建っていたのだった。ミシミシ揺れて怖くて落ち着かない。
小屋を出発するといきなりキツイ登りが始まった。僕のキスリングには4リットルの水が収まっている。腰ベルトが無いキスリングはその重さを肩だけで受け止める。だから自然と荷重を背中に分散させようと前屈みの姿勢になる。急登の苦しさに俯き足元を見ると岩陰に高山植物を見つけた。昨夜の激しい嵐にも耐え可憐な花を咲かせている。やがて周囲に高い木々が無くなり森林限界だと教わると、荒涼とした岩と砂利の道に変わりハイマツが斜面にへばりついている。このとき何か空気にも変化を感じ神様の領域に入ったと思った。
硫黄岳では爆裂火口跡を覗きこみ自然の凄まじさを知る。「見ろ、あれが赤岳だ」と先輩「えっ噓でしょ」「だってこの道は下ってますよ」僕が言うと「いいから頑張れ!」と一言だけで説明はない。「あんなに苦労して登ったのに下っちゃうんですか~」「もったいない」・・・。吊り橋でも架けてくれたら良いのに・・・出るのは文句ばかり。下り切ったら再び辛い登りが始まる。
横岳の通過は今のように整備されてなくスリルが連続する。遮る物がない稜線の日差しは強い。でも吹く風は爽やかで乾燥している。だから、やたらと喉が渇き水を飲みたい。水は僕のキスリングのポケットにあるのにリーダーの口癖は「ばてるから水を飲むな!」今ならハラスメントだ。だが当時はこんな馬鹿げた根性論がまかり通っていた。
赤岳石室(現在の赤岳展望荘)は地形を利用した石積みの避難小屋だった。ここで僕はハンガーノックでへたり込んでしまった。目指す赤岳は目の前でも壁のように屹立した急斜面にジグザグに付けられた登山道を見た途端、目の周りを星が飛んだ。3食どんぶり大盛が日常だった僕に「ご飯1杯と味噌汁だけ」の朝食で足りるはずがない。腹が減ってムリです。リーダーに懇願する。バテバテの僕のために早目の昼飯になった。
塩っ辛いおにぎりが旨かった。食後はまたブリキ缶から喧しい道具が出てきた。僕が背負って来たポリタンの水を注いだ鍋に湯が沸く。リーダーは豪快に紅茶のパックを何個も放り込む。鍋を揺すってかき混ぜると良い香りが漂う。カップに砂糖をたんまりと入れ、輪切りにしたレモンを浮かべて飲んだ。優雅な気分だ!
腹を満たしポリタンも空になったキスリングは随分と軽くなった。さて赤岳への登りだ。これを登れば後は下りだけだと言うリーダーに励まされる。
ついに縦走のファイナル赤岳だ。それが、絶景を期待した山頂は、真っ白な濃いガスに包まれてしまった。最年少の僕が足手まといになったからだ。
しょげていた僕にSさんが内緒でくれたチョコレート(たぶん非常食)は嬉しかった。
下りは楽だと思っていたのが甘かった。のっけから崖のように急な岩尾根に長いクサリとハシゴが連続する。おまけに足元には浮石がゴロゴロしている。職場では日本人形の S さんが大声で叫んだ「落石~!」その声は今でも僕の耳に残っている。すぐ脇を拳くらの石が転がって岩に当たって跳ねた。 鉄製のハシゴは取り付けが悪くグラグラと揺れて怖い。慎重にゆっくり降りていると直後を降りてきた先輩の体重でハシゴと岩の間に両手を挟まれた。余りの痛さに僕は悲鳴をあげた。「ドジだな」と先輩は笑ったが、手を離さなかったことをリーダーは褒めてくれた。
緊張が連続した危険な場所が終り、樹林帯まで降りてきて僕の喉の渇きは限界に達した。休憩の時、僕はなりふり構わず地面に腹ばいになって水溜まりの上澄みを啜った。
大門沢の長い河原歩き(今では尾根道に変わった)は岩がゴロゴロして歩きづらい。大きすぎたキャラバンシューズの中で爪先に入れた脱脂綿は汗を吸ってクッションの役目を果たしていない。痛い足を引きずる僕の 足取りは牛歩のように遅い。先頭のリーダーは何度も立ち止り振り返る。僕が全体のブレーキになっている。
ようやく車道に出て解放された・・・と思ったのに、終バスに間に合わなかった。清里駅までの長いアスファルトの道を、足を棒にして歩きながら「二度と山なんか登るものか」と誓った僕が、この2ヶ月後に鳳凰三山に登ったのは『 なぜ 』だったのか・・・。 その答えを探して僕は今日も山に登っている。

