5.K駐車場(上)~車の運転がしたい~(2025-06-21 更新)
3年生の夏休みも終りに近づいた頃、進路指導の先生から「学校に来い!」と呼び出された。職員室に入るや否や「お前だけだぞ!!進路が決まっていないのは!どーするんだ!」学級担任に負けず劣らずの威圧的な大声で怒鳴られる。日々のバイトが忙しく卒業後のことなど考える暇もなかった僕は、直ぐにも飛んできそうな鉄拳の恐怖から逃れるため、咄嗟に朝刊の折込チラシにあった「C社に行きたいと思います」と返す。すると「そうか良い会社を選んだな!合格できるよう頑張れ」で呆気なく面談は終わった。どんな会社かも知らず適当に返答した僕だったが、家に帰ってチラシを良く見たら、東京に本社がある電子機器メーカーが、3年前に操業したばかりの甲府工場で従業員を募集している。そしてこの年、まさにこの8月、世界初のパーソナル電卓を発売したセンセーショナルな企業だった。
入社試験はお決まりの学科と面接で行われた。学科は頭が真っ白で何も覚えていないが、面接では将来この会社でどんな仕事をしたいか問われ「社長になりたい」と答えた。この時、三人の試験官が互いに顔を見合わせていたから、思わず「あーやっちまった」と感じた。絶対に落ちると思っていた試験に合格できたのは、世界初の電卓が空前の大ヒットを飛ばしていたからだ。この時、僕の学校に来た募集定員は5人だったが、なんと受験した7人全員が合格してしまった。
僕が就職した昭和48年は日本中が「イケイケどんどん」の時代だった。だから労働基準法もへったくれもない。発売から僅か10ヶ月で100万台を販売した電卓の生産ラインはフル回転の忙しさ、毎日の残業は当たり前、その上週休2日制になる前で土曜日は半ドンだった。社員約300人の平均年齢は25歳と若く、破竹の勢いで急成長を遂げている企業は活気で溢れていた。配属された検査2課では主に機能検査を常温と50℃の高温、-10℃の低温で行う。単純な作業も、その量が膨大なのでとにかく日々の仕事をこなす事に懸命で1年はあっという間に過ぎた。
1年間ラインでみっちり基礎を叩きこまれた僕は2年目から修理班に異動になった。当時は毎月のように新機種が発売されていて、当然それに伴うトラブルが発生する。生産量もウナギのぼりだったから不良品の数も半端なく多い。来る日も来る日も修理品の山に埋もれながらの作業だった。定時で終ることは無い。それどころか他の部署への応援に駆り出される残業まであった。高校時代にバイトでもっとハードな日々を過ごしていた僕にはまだ余裕があったが、嵐のように襲ってくる過重労働のストレスから精神を病み、僅か1年で辞めて行った同期もいた。おとなしくて真面目な好青年だったから残念だ。
僕たち若い社員は急成長で躍進を続けるベンチャー企業C社の甲府工場と言う箱の中で、揃いの作業着に身を包み、個性も独自性も封じられた。みんな同じCカラーに染められ大組織の一歯車、いや歯車ならまだましな方で、歯車を固定する何本かの小さなネジ1本程度の存在であった。与えられた仕事をマニュアル通りに繰り返す毎日だった。
そんなある朝、同期入社のHが日産の高級車に乗って出勤してきた。ピカピカの車体は紛れもない新車だ。当時ケンとメリーのテレビCMで一世を風靡した最新型スカイライン2000ccクーペだ。100万円以上もする車をどうやって買ったのかHに聞くと、ディーラーの自動車ローンだと言う。この頃は今の常識では考えられない現象が起こっていた。好景気に沸く時代背景とC社の絶大な社会的信用によるところが大きかったと思うが、勤続年数に関係なく年収の3倍もする自動車ローンが組めたのだ。忙殺されそうな仕事の反動とは恐ろしいものだった。Hのスカイラインをきっかけに同期も先輩たちも高級車ばかり競うように買い始めた。トヨタセリカ、いすゞ117クーペ、三菱ギャラン、マツダルーチェ、日産ローレル、各社の最新型高級車が一堂に揃う社員駐車場は、さしずめ田舎の田園地帯に出現した東京モーターショーだった。
入社2年目(19歳)昭和49年の4月から始まった田宮二郎主演のテレビドラマ「白い滑走路」は空前の高視聴率を記録する人気番組だった。子供の頃から飛行機が大好きだった僕は毎週テレビにかじり付いて見ていた。オープニング映像からカッコ良い。「Flap two zero」「Gear down」とキャプテン(機長)からコーパイ(副操縦士)にコールされ、ボーイング747(通称ジャンボジェット)のタッチアンドゴーで始まる。ドラマのあらすじは記憶にないが、キャプテン田宮が操縦する日本航空の全面協力によるコックピットの映像に釘付けになった。この「白い滑走路」でパイロットへの憧れが芽生えたのは僕だけではなかった。事実このドラマをきっかけに航空会社のパイロットになった若者も少なくなかった。
特別な朝は突然やってきた。僕はいつもの身延線に乗るため甲府駅に向かって小走りに急いでいた。北口のYBS山梨放送を近道で北側から回った時だった。西側通用口の守衛室前に白いポルシェ914が停まっているのが目に飛び込んできた。男だったら誰もが憧れるポルシェだ。取り外されオープンのタルガトップから中を覗き込むと左ハンドルで革張りシートの二人乗り。インパネには鍵も刺さったままになっている。手も触れられる間近にポルシェがある。電車は1本後にすればいい。守衛の視線を感じながら舐めるように眺めていたら、通用口から長身の男性が出て来た。一瞬にしてポルシェの持ち主だと分かる。僕に、いやポルシェに向かって歩いてくるのは、た・た・た・田宮二郎だ!白い滑走路で機長の田宮二郎が僕の前に立ち、目が合う。見上げるくらいに大きい。「車、好きなのか」と聞かれ咄嗟に出た言葉は「い・い・い・いくらですか?」僕の余りに唐突な質問に笑いながら「君も頑張ればすぐに買えるよ」とだけ答えると、ドンと重厚な音がしてドアが閉まる。空冷エンジン特有の排気音を響かせ颯爽と走り去る姿を、僕はポカンと口を開けて見送った。
昼休みに社員食堂で車に詳しい先輩に今朝の出来事を話すと、新車価格300万円と教えてくれた。ちょうど手取り5万円だから、飲まず食わず貯金すれば5年でポルシェ914が買える。気が遠くなった。それよりも憧れの田宮二郎に会ったこと、会話とは言えないが言葉を交わしたことが嬉しくて、この日の僕は一日中そわそわして落ち着きがなかった。
運転免許は取得したもののまだ自分の車が買えなかった僕は、こともあろうに駐車場のアルバイトを見つけた。車の運転がしたい僕はバイトで他人の車に乗ることを企てた。県営駐車場の斜め向かいにある「K駐車場」が日曜日の午後だけアルバイトを募集している。 ・・・つづく
