エッセー「仕事が趣味で60年」

7.K駐車場(下)~20歳で終わった~(2025-08-21 更新)

今にしてみれば本当に良い時代に良い会社に就職したと思う。特にC社の業績は目覚ましく、福利厚生も充実していた。そのひとつがクラブ活動で、野球・サッカーなどの運動部と、華道・茶道などの文化部があった。必要な道具やユニフォームは会社が購入してくれたから有り難かった。仕事に於いては個性も独自性も発揮できない風潮があったが、この部活動はそれぞれが自由に自己表現できる場だった。それと普段は関係ない他部署の人との交流もあり仕事の視野が広がる利点もあった。僕は誘われて山岳部に入り最年少部員として先輩たちから可愛がってもらった。そのシゴキに耐える自主トレーニングとして桃源郷マラソンや櫛形山登山競争などに個人で参加していた。この時声を掛けてきたのが、駅伝部の部長Sさんだった。Sさんは大学時代に長距離ランナーとして活躍した技術職のエリート社員で、長身なのに社内をいつも小股で歩き不思議なオーラを放っていた。
そのエリートSさんがある日の仕事帰り、駅前の食堂が混んでいて注文した物が出てくると同時に電車が来てしまった。するとSさんは「どんぶりは明日返すから」と言ってラーメンを手に電車に飛び乗った。さすがの僕もラーメンどんぶりを持って電車に乗る神経はない。その度胸はマラソンで鍛えた心臓にあるのか、と思い僕はSさんに弟子入りを志願した。そんな型破りのS部長率いる駅伝部の練習は容赦なくキツかった。それでもタイムが向上してくると、補欠から選手に昇格できて充実感を味わった。
こんな好待遇のC社を、車の運転がしたいがために、せっかく就職できたC社を棒に振るとは。本当にアホだった!こんな目立つ場所でバイトしていたら、遅かれ早かれ見つかるのは明白だった。スーツ姿の総務課長は愛車のビートルではなく徒歩でK駐車場に入って来た。そして中央付近で待機する僕だけを見据え一直線に歩いて来た。近づいてくる革靴の響きに僕の鼓動も高鳴る。靴音が止まった時は僕の心臓も止まるかと思った。「何をしているのですか」矢継ぎ早に「ここは親戚と言うことですか?」と、問われた。準備してあった言い訳を先に言われてしまったのだから、もう僕は何も言えない。言葉は紳士的でもその目は刑事のように鋭い。すべてを見透かされている気がした僕は、ただ一言「すみませんでした」と謝るしか出来なかった。
職場での僕は何かと出る杭だった。要領よく楽な仕事ばかり選んでいる先輩に意見したり、仕事の進め方で衝突したり、上下関係なく持論をぶつける僕に不快な感情を抱いていた同僚の一人や二人いてもおかしくはない。総務課長は誰かから得た情報の裏を取るため、休日返上で自ら現場に来た感じだった。日頃お気楽能天気でストレスフリーの僕も、さすがに崖っぷちに追いやられたこの夜は寝つきが悪かった。
翌日は社員食堂で月に1度の全体朝礼が行われた。終了後に直属の上司M係長から呼び止められ「このまま総務課長の所に行くように」と告げられる。まずい! 係長ではなく、総務課長から直々に呼ばれてしまった。と、なると重大な話になりそうだ。ましてや僕には新入社員研修での前歴がある。C社に限らず大きな組織には行動規範など厳格な規則が定められている。例えば、書けなくなったボールペンは空になった芯を事務員さんの所に持って行き、本当に書けないか確認してもらい初めて新しい芯と交換できる。ボールペン1本にすらこれほど厳しかったのだから、僕のバイトは極めて重大な規則違反だ。人事に絶対的な権限を持つ総務課長から呼ばれたのだから僕は観念するしかなかった。
総務課は社員食堂の2階にある。重い足取りで階段を登り切ると正面に受付カウンターがあって、美人ではないが利発な印象の受付嬢と目があう。「検査2課の小田切ですが総務課長に呼ばれ参りました」「少々お待ちください」滅多に来ることもなかった総務課も今日で見納めだろうから、広いフロアを見渡す。市役所なんかと同じように天井から庶務係、経理係、人事係などのプレートが吊るされている。そのプレートの下に事務員さんの机が向かい合って並び、書庫を背にした上座にはタバコをくわえた係長が難しい顔をして僕を見る。パソコンはもちろん、ワープロすらなかった当時は20人ほどの事務員さんでアナログ書類の山と格闘していた。でもさすがにソロバンは無かった。
受付の内線が鳴り、案内されたのは総務課の一番奥にある工場長室だった。この部屋に入るのは面接試験の時以来で緊張は頂点に達する。南向きの明るい部屋の中央には面接の時には無かった大きな応接セット置かれ、工場長と総務課長が座っている。「失礼します!検査2課の小田切です」沈む気持ちを奮い立たせ大きな声で挨拶をする。工場長は僕の顔を見るなり「あぁーやっぱり君だったか!」と親しみを込めた満面の笑みを浮かべ、いきなり半年前の駅伝の話しになった。それは毎年C社の地元で開催される駅伝部にとって最も重要な「中巨摩群実業団対抗駅伝大会」だった。スポーツ好きの工場長も沿道に応援に来ていて、準優勝した今年は出場したランナー6人が全体朝礼の時に名前を呼ばれて全社員の前に整列して報告会が催された。工場長の祝辞で印象に残ったのはS部長(兼ランナー)が発案したゼッケン番号で、C社の看板商品「ミニ」をなぞらえた32番だった。カタカナ3文字で大きな社名の下に、さらに大きく32だから、僕らのことを走る広告塔だと称えてくれた。この時、社員食堂に大きな拍手が巻き起こって誇らしかった。半年も前の大会を工場長はよく覚えていて「小田切君は確か3区だったね」と言う。「まあ掛けなさい」と促されソファーに座った。人生20年生きてきて初めてソファーという物に腰を下ろした。そのあまりにもフカフカな感触は例えようもない違和感があった。大切なお客様のためのソファーに平社員の僕が座っている。明らかに分不相応で場違いな感覚で気持ち悪かった。
総務課長から「社員手帳の13ページを開きなさい」と促され作業着の胸ポケットから手帳を取り出す。忘れず携帯していたのは良かったが、僕の手帳は貰った時のまま、1度もページをめくったことが無い新品だった。だから紙のフチが張り付いている。パリパリとやっとの事で開く。「第4項を音読しなさい」「はい」ソファーから立ち上がった時、足がふらついた。「服務規程 第4項 正社員、準社員を問わず如何なる事情であってもアルバイト等の副業に従事することを禁ずる」声が震えて上手く読めない。遡ること2年半前、新入社員研修の宿舎で飲酒し、最終日には寝坊してバスに乗り遅れる失態を演じた。入社と同時にクビも覚悟したが、辛うじて首の皮一枚で繋がってきた僕は、仕事は当然、部活にも真剣に向き合ってきた。僅かな歳月だったが色々なことが走馬燈のように駆け巡る。
最高責任者の工場長はおもむろに立ち上がり、本来ならば「服務規程違反で解雇」です・・・が、服務規程を遵守し、職務と来年は優勝を目指して頑張ってください。今回は「厳重注意」とします。
予期せぬ結果に僕は全身の力が抜けて、へなへなと豪華なソファーに座り込んでしまった。
僕のアルバイト歴は終わった。 20250821