6.K駐車場(中)~車の運転がしたい~(2025-07-21 更新)
奇跡的に入社できたC社に限らず、社員のアルバイト(副業)を認めている会社はなかった。そんな当たり前の規則を、車を運転したいからと言う単純な動機で犯そうとは一体どういう神経なのか。そもそも僕は入社早々から会社(社会)をなめていた。全国から100人近い新卒採用が国立音楽大学に集められ入社式と新入社員研修が行われた。その5日目に宿舎で相部屋の同期と酒を飲んでいる所を、点呼に来た上司に目撃された。上司の部屋に呼ばれた僕たち4人は「未成年が酒を飲むとは」と厳しく叱責される。4人の上司から次々に「私にも言わせてください」と繰り返し同じ話を聞かされ、完全に酔いが回っていた僕たちは、直立して長い説教を聞くのが苦痛だった。こと細かに説明を求められ、最終的に勝手に外出して、酒屋でウイスキーとコーラを買ってきた僕には主犯格の烙印が押された。悪いことは続く。半分開き直ってクビも覚悟した僕たちは研修の最終日に寝坊してしまった。布団を上げに来た番頭さんが大きな声で「お客さーん!まだ寝てるんですか!」「皆さんもう出かけましたよ!」慌てて飛び起きる。この日は立川と甲府の工場見学が予定されていて、会社が所有するバス3台は既に出発したと言う。タクシーを呼んでもらって立川工場に向かう。ここで何とか最後の一台に追いつき事情を話して、ギリギリ補助席に滑り込んだ。隣の席は山形営業所に採用された男性で、初めて生で聞いた東北弁は柔らかく、打ちひしがれた僕の悲壮感を慰めてくれた。
12時から19時の7時間で日払い2800円(時給換算400円)当時としては悪くなかったから直ぐに電話を掛けた。その日のうちに出向いた面接は簡単だった。無傷の運転免許証(ペーパードライバーだから当然)と社員証を見せたら即採用になった。ここでもC社の社会的信用は絶大だと知る。ただ一つだけお願いがあった。社員規則で当然ながらアルバイトは禁止事項なので、親戚なので頼まれて忙しい日曜日だけ「無報酬の手伝いをしている」と話を合わせてもらった。
翌週からバイトが始まった。あの頃、甲府の中心街は毎日が「盆暮れ正月」が一度にやって来たような賑わいがあった。デパートなどの商業施設も映画館などの娯楽施設も中心部に集約され、特に飲食店の軒数は人口比で全国3位と多かった。経済は夢のような絶頂期で、中でもモータリゼーションは華々しく庶民向けの大衆車も高級スポーツカーも次々に発売された。だから休日になると全県から多くの人々がマイカーに乗って甲府に集まって来る。これらの車を迎え入れるため県営の駐車場が最適な立地(現ココリ)にあった。鉄骨コンクリート構造の県営駐車場は1階2階と屋上の3フロアーに約150台を収容する当時としては県下一の大規模な駐車場であった。これが毎週日曜日の午後には一杯になってしまう。特に給料日あとで大安吉日が重なると、買い物客と結婚式に出席する車で、昼頃には入口に遠くからも良く見える大きな満車の赤ランプが灯ってしまう。こうなると県営駐車場の100mほど手前で右車線にあるK駐車場は臨戦態勢にはいる。一方通行の左車線に入庫待ちの車が5台以上停車すると、K駐車場に次々と車が流れ込んでくる。だから日曜日の午後は常勤だけでは手が足りなくてバイトを募集したわけだ。
K駐車場の収容台数は約50台で、限られたスペースを有効利用するため車は縦に2台を縦列駐車していく。鍵はナンバーを記した荷札を付けて入口の受付(清算所)で預かる。後ろに駐車したお客さんが先に帰ってくると、駐車場の中央付近で待機している僕たちスタッフはお客さんから前の車のナンバーを聞いて受付に走る。該当する車の鍵を受け取ったら再び走り移動する車に乗り込む。教習所で4速コラムシフトのクラウンしか運転したことがなかった僕は、初めてのフロアシフトを操作する事に動揺する。当時はMT(マニュアル車)が当たり前で、ギアのシフトパターンは車ごとにみな違う。座席を前にスライドして、クラッチペダルを一杯に踏み込みエンジンをかける。シフトノブのローギア(1速)は左上が普通だが、時々ここがバックギア(R)の車がある。だから必ず確認してからギアを入れ半クラッチで発進する。低速時のハンドルは岩でも動かすように重い。油圧で補助するパワステなどない時代だったから、100%腕力で回すパワー「要る」ステアリングだった。後ろの車が出るとバックギアだが、これがまたも難解だった。前進と間違えて後退に入れないように、プッシュバックの車種とプルバックの車種がある。慣れている持ち主に取っては何でもないが、不慣れな他人には複雑怪奇の何物でもなかった。色々な車がある驚きはあったが、なぜ統一されていないのか疑問に思うことは無かった。そもそもそんなことを考えている暇などないほど忙しかった。
駐車場と言う極めて狭小なスペースで、誰もが苦手意識をもつ車庫入れは決して簡単な仕事ではない。もちろんバックモニターなんてない。サイドミラーに映る白線と自分の感覚だけが頼りで、何度も切り返したり、降りて後ろを見に行ったり、まごまごする僕はカッコ悪い。それもそのはず、緊張が増幅するのはお客様の大切な車だからにほかならない。ピカピカの新車には特に気を使った。緊張感の代償は時間の経過が早い事で、7時間の勤務があっという間に過ぎる。会社の単調な仕事とは違い、変化に富んだこのバイトが楽しくて毎週日曜日が待ち遠しかった。
常勤で朝から勤務している初老のおじさんは右腕がなかった。自分からは何も語らないが戦争で失ったと又聞きした。右腕は肩から無くて真夏の暑い時期でも長袖のシャツを着ている。走ると上半身が左右に大きく揺れて、シャツの右袖は不自然に風にそよいだ。その姿は傍目には不自由に見えたが、左腕一本でハンドルとシフトギヤを上手に操作し、白線内に真っ直ぐ駐車する技術は見事だった。それと常連のお客さんの滞在時間は分かっていて、僕に効率の良い駐車位置を指示してくれた。何より明るい性格で何時も朗らかに笑っている。だから僕はおじさんの分まで猛ダッシュで走り回って、他の誰より多くの車を運転した。
特にフェアレディZやセリカなどスポーツカーの運転は、僕に任せてと鍵を奪い取るようにして乗り込んだ。憧れの車、欲しい車の包み込まれるシートに座り、ハンドルを握って一時の優越感に浸っていると後ろからクラクションで急かされる。ブォンと不要な空吹かしでアクセルのレスポンスを感じる。シフトレバーは小さなストロークでカチッと決まる。「いいなー!ため息がでた」時々、ポルシェやジャガーが来ることもあったが、この時ばかりは社長が運転して僕には触らせてくれなかった。
K駐車場のバイトも半年が経過して仕事の要領も覚え、すっかり運転も上手くなった頃だった。それまでにもC社の先輩や同期に出くわすことがあったが、親戚だと適当にかわして来た。だがついに、絶対に見つかりたくないと願っていた総務課長が来てしまった。逃げ隠れする間もなく「何をしているのですか」と丁寧な言葉で聞かれる。蛇に睨まれた蛙のごとく呆然と立ちすくむ僕・・・絶体絶命の窮地に追いやられた。・・・つづく2025/07/21
