S教官との別れ Ⅳ

2016/04/30(土)

それは運航管理事務所でのS教官との何気ない会話「雨に遭ったらフラップ1段」だった。機体の性能や取扱いが詳細に記された飛行規程には強雨や着氷は失速速度を増大させ、離陸滑走距離を通常の2倍に増大させるとあるが、雨中での巡航や上昇に於けるフラップ1段の文字はない。高速性能の代償として雨に対する弱点は話や知識としては理解していたが、現実にフルパワーでも昇降計が振れない事態に直面し、高度が得られないまま山腹が迫るあの時、祈る思いで通常のフラップ2段(+15°)を、1段(+8°)にチェンジしてみた。「上がれー!」願いは叫びになり、スロットル全開のエンジン音と共に山に反響して轟き渡る。やがて少し遅れて反応した計器が速度の増加を示し操縦桿を引くと・・・皮肉だが軽くなった燃料タンクも上昇を助け機体は山肌を舐めるように這い上がって行った。初めて経験した山間部での雷雨との遭遇、長時間の死闘の末に、山腹との衝突の危機、これらを回避して生還できたのは、紛れも無くS教官のアドバイスであった。懐かしいS教官のサインが残る練習生時代のログブックを開くと、備考欄には何度もGOODの文字が記されている。練習科目が上手く出来なかった日も必ず何か良かった所を見つけて褒めてくれた。また毎年の航空祭で華麗なアクロバットを披露する憧れのS教官から貰う「GOOD」は多くの練習生たちに大きな勇気も与えてきた。突然の病に天国に旅立ったS教官の遺影は愛用のレイバン姿だったが、そのレンズの奥には何時もの優しい眼差しがあった。安らかに、そしてこれからも空の上から見守っていてください。画像は、ホームの双葉R/W33・最終進入するJA2369・・・touchdown

S教官との別れ Ⅲ

2016/04/25(月)

厳しいエマージェンシー訓練から習得した危機対応は「最悪に備え最善を期す」だった。だから不時着場を探しながら長野滑空場へのダイバートを決断し、千曲川を20マイルも下って来たのだが、その道も閉ざされ最悪の事態が現実味を帯びてくる。この絶望的な窮地に於いても、「客観的に事態を捉え冷静に対処せよ」と教本には書いてあるが、立ち止まって考えることが出来ない空中で、機体を操っているのは感情を持った人間である。焦り、恐怖、責任、、、色んな物が去来して情緒が乱れ、それが機体の挙動となって現れる。もはや自身の力量では如何ともし難い領域に踏み込んだのか極度の緊張に記憶も途切れた。後に解析したGPSのデータには、袋小路の千曲川上空でもがく必死の旋回が記録されていた。我に返ったのは美ヶ原から北に連なる稜線の鞍部に小さな青空を見つけた時だった。雷雲が移動して松本盆地への脱出口が開いたのだ。この峠を越えれば松本空港があり燃料の補給もできる。残燃料を信じてフルパワーで上昇態勢に入るが再び・・・。雷雲の終息期に発生する下降気流と、雨に弱い高速性能重視の翼形で本来の上昇率が得られない。山肌が容赦なく迫り木々の輪郭まで見えた時、S教官の「フラップ1段」を思い出した・・・continue画像は、エンジンを停止して積雲の合間を滑空するJA2369の小窓から。

S教官との別れ Ⅱ

2016/04/19(火)

練習生時代には苦手科目で訓練時間の多くを割いた螺旋降下が本番で試される時がきた。目標の降下地点を左翼端に捉えてエルロンを切ると、荒れた気流に翻弄され、迫る積乱雲の中には稲妻の閃光が走り恐怖の序章が始まった。長いスパイラルが終り、雲低に降りた途端キャノピーに大粒の雨が叩き付けてきた。GPSは上田の南東5マイル高度4000Ft、マップに表示されたR18に沿う千曲川は大きく蛇行して、東西の山は近く、厚い雲に覆われた峡谷の地形になっている。本能的に僅かでも明るい方角に機首を向け、ウエザー情報を得るため無線で東京インフォ~松本レディオ~新潟レーダーをコールするが、高度が低いため通信不能で航行支援は断たれた。さらにVMC(有視界)もギリギリの状況で、残燃料の不安も抱え、遭難に至る負の連鎖が始まる。同乗者には申し訳ないが、不時着可能な河原を探しながら千曲川を下り長野滑空場を目指すと告げた。上空からはフラットに見えた川の中州も、最低安全高度まで降下すると大きな岩がゴロゴロと堆積していて、強引に着陸したら機体は大破し怪我も免れない。雨は少し弱まってきたが、前方の千曲市付近は夜のような真っ黒い雲に閉ざされてしまった。早く安全な場所に着陸しなければ集中力にも限界がある・・・continue画像は、双葉R/W15・離陸位置にセットするTAIFUN 17 E JA2369の操縦席

S教官との別れ Ⅰ

2016/04/14(木)

15年前の7月に佐渡からの帰路で不時着を迫られた窮地から命を救った言葉があった。「雨に遭ったらフラップ1段」飛行規程にもないS教官の長い飛行経験から生れた独自のアドバイスであった。13:40佐渡空港を離陸し海を渡ると陸地には夏特有の積雲が湧き上がり、この先雲が多い山岳地帯の飛行リスクは容易に想像できた。すぐさま最先端のGPSにGO HOMEを入力して、真夏の太陽がギラギラと眩しい1万フィートの雲上を一直線に巡航していた。離陸から1時間が経過した頃(GPSは上田市付近)には地表の標高に連れて雲の高度も増し1万4千フィートに達してしまった。周囲には雄大積雲の柱が何本も立ち上がり成層圏まで伸びている。簡単な計算に悩み、出た答えに愕然とした。『高度4200m!!』機体は快調だが同乗者には高山病の兆しが見え始め、自身も的確な判断ができる内に降下したい。しばらくして運良く雲に穴が開いていて地上の町並みが見えた。タイトな穴だがスパイラルダイブで何とかぎりぎり降下できそう。選択肢はない、、躊躇せずにパワーを絞り機体を大きくバンクさせた。この穴が地獄に落ちる入り口だった・・・continue画像は、松本空港N-5に駐機するTAIFUN 17 E JA2369

茅ヶ岳のオアシス

2016/04/03(日)

毎年4月の第一日曜は自治会の総会が開催され昼の少し前に公民館を一番に飛び出した。曇り空には薄日がさしているが北方10kmの茅ヶ岳は半分から上が雲の中、昼食もそこそこに急いで支度を整え13時には深田公園から歩き始めた。今年初めての山歩き、昨年最後も茅ヶ岳だったな。里は桜が満開なのに僅かでも芽吹きを期待していたが色のない道。今日で茅ヶ岳に登るの何回目かな。40年以上前にC山岳部の仲間と登った記憶がよみがえる。色んな事をぼんやりと考えながら歩くのが好きだ。やがて道は林道を横断し女岩コースと防火帯尾根コースに別れるが真っ直ぐに進む。しばらくして熊鈴の音が下って来るが、案の定コースは左の防火帯尾根で音だけ遠ざかっていった。4ヶ月のブランクで落ちた筋力を取り戻すようにペースを少し上げて大粒の汗が流れ出す頃に、女岩の下部に着く。女岩は周囲を見事なブナ林に囲まれたこの山域で唯一の水場で一年中枯れる事なく岩清水が湧き、特に夏場の暑い季節にはマイナスイオンに包まれる茅ヶ岳のオアシスとして登山者から愛されて来た。だが、残念なことに近年は基部周辺で大規模な崩落が発生して危険な為、50m手前で立ち入り規制のテープが張られてしまった。今日も休むことなく頑張ったが、女岩を右手から高巻く頃に雨が降り出し撤退を判断した。写真は、女岩から100mほどの水場で昔から有った物を整備して利用しやすくなっている。
深田公園13:00~女岩の上部~饅頭峠~深田公園15:00 2+00