1.真空管のソケットを組立てる(2025-02-21 更新)
社会全体が貧しい時代だったから特別な事ではないが、僕は小学3年生から母親の内職を手伝っていた。昼間はフルタイムで働く母親と夕飯後、ちゃぶ台の上、白熱電球の下で真空管のソケットを組み立てた。黒いベークライト製のソケットベースには真空管のピンを挿すための複数の穴が開いていて、母親がその穴に銀色に錫メッキされた金属端子を挿す。僕の作業は工場から貸与された千枚通しの先をカギ状に曲げた工具を使う。ソケットを底から覗くと母親が挿した端子の先に配線を半田付けするための穴が見えるから、この穴に工具の先を引っ掛けて引っ張る。するとカチッと音がして端子の顎がソケットに噛み合いロックされて抜けなくなる。これを端子の数だけ丁寧に繰り返すと1個の真空管ソケットが完成する。単純な作業だが、端子を引っ張る力の加減を誤るとベークライトは硬質の素材なので簡単に欠けて不良品になってしまう。毎晩の作業を根気よく続けると1週間で500個ほどの真空管ソケットが完成する。これを学校から帰って甲府駅北口の電機会社に納品するのも僕の仕事だった。僕の自慢の愛車は隣りに住む器用な叔父さんが何処からか拾って来たと言う部品でハンドメイドした自転車だった。今にして思えば自転車の部品が落ちている時代ではない。クズ屋(廃品回収業)からスクラップ寸前のフレームやらハンドルやらを、お金を払って買ってきたに違いない。仕事が休みの日に路地の片隅で黙々と組み立て作業をしていた。ひと月ほどして完成した自転車は24インチの子供用サイズだ。それまで僕のための自転車だとは知らなかったから驚いた。無骨な叔父さんらしい頑丈な組立に不満はなかったが、サビが相当に酷かったのだろう、刷毛で何度も重ね塗りしたペンキは異様に分厚かった。それでも本当に嬉しくて、貰ったその日は飛び上がって喜んだ。この水色の自転車に跨ると甲府駅までは下り坂だから早い。
活気がある工場に着くと、揃いの作業着を着た工員が忙しく働いていて、工場全体には基盤などのベークライトの独特の臭いと半田付けの煙が漂っている。そのツンとした刺激臭を僕の鼻腔は今でも覚えている。納品は極めて簡単で、完成した真空管ソケットを袋ごと秤に乗せ重量を計る。それを1個当たりの重量で割り算した納品伝票を受け取る。伝票に書かれた個数が母親の数えた数より少ない日も有り疑問に思ったが、小学3年生の少年が異議を唱えることは出来るはずもない。組立の膨大な労力に比して余りにも簡素な納品が終ると、次回の材料を受け取る。大きなビニール袋に入れたソケトッベースと小さな袋に入った端子が、これもまた個数は秤で計られ、数量が書かれた伝票と共に受け取る。
事故はその帰り道に起こった。自転車のハンドルに吊り下げたビニール袋が何かの弾みで前輪のスポークに絡まり破れた。直ぐに急ブレーキで止まったが瞬く間に袋から部品がこぼれた。当時はまだ舗装道路ではない土の道で、土色の地面1m四方に銀色に輝く端子が鮮やかに広がった。幸いだったのは、自動車は一日に一台見るかどうかで滅多に通らないことだった。慌てて地面に這いつくばって僕はこの長さ12mmほど、仕入れ額がべらぼうに高い銀色の端子を懸命に拾い集めた。恥ずかしいとか惨めとかと言う考えには及ばなかった。母親から聞かされ知っていたからだ。この真空管ソケットを組み立てる内職の決まりは、先ず工場から部品(1個分45円)を仕入れる。これを組み立て完成品にすると工場が買い取ってくれる。そして買い取り額から仕入れ金額が引かれた差額(約1円50銭)が内職の工賃として支払いを受ける。だから部品を紛失したり不良品を出したりすると直に稼ぎに響く。ちなみに1個の不良品を出すと30個分もの稼ぎが吹き飛んだ。
頑張っていた僕に母親は時々お小遣いをくれた。当時の5円玉には穴が開いていなかった。これを握りしめて近所の商店に走る。木製枠のガラスケースの中央に鎮座する10円のチョコパンを横目に、脇に控えめに並ぶ5円の甘食を買った。
5円を稼ぐのが大変だった小学3年生が、高校3年生のアルバイトで月収5万円を稼ぐとは夢にも思わなかった。・・・つづく
